艮の金神は、なおにさまざまなことを命じた。
神命の一つに、深夜の水行があった。
どんな寒中であろうと、なおは神のいうとおりに
凍るような井戸水をあびた。
神の命ぜらるるままに七杯の水をあび、
八杯目をこころみようとしたとき
「 もうよい 」
と神の言葉がある。
そんな時は、浴びかかったツルベの水を
そのまま頭からかけても水はみなはね散り、
身体には一滴もかからない。
この水行の最中、水をかぶるたびに、
神前では松明(たいまつ)が大変な勢いで
火がパッパッと燃え上がるのを人々は見た。
のちに開祖なおは
「 あれは神界で松明を焚いて、
私の水行するのを ご守護して下さっているのや
それで水行といっても すこしも寒くありません 」
と説明したということである。
のちの開祖なおは、
神の筆先を書く前には必ず水行をした。
そして水行のように頻繁ではないが、神は
「 なおよ舞いを舞うのじゃ 」
とも、うながしている。
子どもの頃、神社の能舞台での能楽に心ひかれて
拝観はしていたが、稽古できる境遇でなかったなおは、
「 わたしのような
稽古一つしたことのない者に、
どうして舞いなど舞えましょう 」
というと、神は
「 それでは、
このほうが舞って見せるから
われについて舞うがよい 」
という。
なおは座敷の障子を閉め、
幻のように浮かぶ神の舞い姿を追い、
やっと一さし舞い納めた。
そのあと、
「 なぜこのようなことを 」
と 問うと、
「 ここ(大本)では先になると
このように仕舞や能楽が盛んになる
それで今そなたにその型をしてもらった 」
と、神は答えたという。
大本と仕舞は、この時すでに神縁があったのである。
現在、大本の神殿のいくつかに能舞台が設けられ、
笛、大鼓、太鼓、小鼓のひびきが絶えないのも、
故あることといえる。