出雲から帰ってから、開祖と会長の間で
「 神々の争い 」 がおこった。
ことに二人が帰神状態になると、双方のぶつかりは激しく
普段は しごく仲の良い親子であるのに、神憑りになると
それまでの様子が、おそろしく一変したのである。
ある時、開祖には天照皇大神、
会長には素盞鳴尊の帰神があった。
「 素盞鳴尊が 高天原をとりにきた 」
「 素盞鳴尊も 小松林命も 肉体をおいて帰れ 」
「 小松林命が世を乱す、改心せい 」
と開祖は大きな声で言い、ドスンドスンと四股を踏んだ。
その時の声は、身震いするほどの豪放な声だったという。
一方、会長もそれに応じる。素盞鳴尊の神憑りになると、
会長には、自分の腕が直径五、六寸にも見えたという。
そして、周りの者が 豆粒のように小さく見えるらしい。
こうして互いに、物凄い勢いをもって
神々は 議論におよんだのであった。
しかし、こうした神がかりがおさまると、
いつもの仲の良い親子に戻った。
「 会長はん、えらい事でございましたな 」
「 いやいや、神さまは えらい勢いでしたなあ 」
「 これは 型 どすげなで 」
「 へい、そうですな。 あ、開祖さま、お茶がはいりました 」
という 睦まじいありさまであった。
しかしこの騒動は 近所の人々にも評判になって、
「 さあ、今日も金神さんの喧嘩聞いてこうかい 」
と大勢でやってきて家の周りを取り巻き、
柿の木には十人ほど登って見ていたそうである。
もっとも食傷してくると、
「 どうも金神さんの喧嘩は
声や動きのわりに、内容がうけませんなあ 」
「 ふーむ、そうですなあ。
外国がどうの、日本がどうのと一向につまらない 」
「 さあ、帰(い)のう、帰のう 」
と、ぞろぞろと帰っていったという。
こうして周囲に評判となってはと、ある時、開祖が、
「 これでは かないません … 」
と 神に不満をうったえると、
「 なおよ、三千世界の因縁ごとであるから
もうしばらく 辛抱してくだされよ ・・・ 」
と神の方がたのんだのであった。
これら神々の対立は、筆先にも
「 小松林命は ご苦労な かたき役 」
とあり、古事記神話にいう
アマテラスとスサノオの対立を反映する、
一つの型として大本がその舞台を演じたのである。
そんな折、筆先に、木の花咲耶姫の神霊の宿る
女の子が生まれる予告が出た。
「 こんどは木の花咲耶姫どのが、
世に出ておいでる神さんと、
世に落ちておりた神さんとの
和合させる御役を神界から仰せつけがありたぞよ 」
そして明治三十五年三月七日、
会長と すみの間に女子が誕生した。
神命により、女の子は 直日 と名づけられ、
また会長上田喜三郎も、「 出口王仁三郎 」と改名する。
そしてこの後の明治三十六年には、激しかった
開祖と会長の 「たたかい」も、次第に静まっていった。