信仰の解釈

 
会長王仁三郎にとって、悩まされたことがあった。
教勢拡大に対する社会の妨害があり、それにも増して
内輪の古くからの役員信者達による、頑迷と狂信である。

彼らは筆先の表面の字句にとらわれ過ぎ、
その広大な真精神を悟り得ず、何かと会長に逆らった。

先にあった 神々の争いの間にも、例えば開祖の方は、
極寒といえども神の御用となれば、
火鉢を用いず、座布団さえ敷かない。
寒中であろうとも水行をいとわず、
その水行を役員はきそって真似た。
改心だと極端な水行を重んじ、
また開祖をまねて粗食をすすんで行った。

一方、会長は身体を潔めるなら
暖かい風呂でもよいではないかと言い、
改心は心の問題であると説いたが
当時の役員達は、開祖に加勢した。

筆先に、
洋服を着るな、靴を履くな、肉食をするな
という意味事があり、これを一般信者は
全くその通りに実践するのであった。
そして、布教の際に 会長が洋服と靴姿なのは、
悪人の鏡 と映ったのである。

会長が説くところによれば、筆先は、
近代社会に対し批判を簡潔素朴にいっているのであり、
それを狭義に受け取り実行するのは、迷信と
頑愚以外のなにものでもない。
一般の信者は筆先の字句をうのみにし、
西欧文明はもとより、学問や芸術、資本主義文化や
物質文明を全て否定し、神の立て替えによって、
洋服も靴も、科学も漢字までもすべてが無くなる
と思い込んでいた。

「 今の世の中は真っ暗闇である 」

と筆先に出ると、
真っ昼間に提灯を点して大道を歩いたものだった。

王仁三郎会長は、社会的な進出のため
論理的に説得力をもつ教義体系を
ぜひ持つべきであると考えたが、信者達は
そんなもの必要ない 」 という態度をとった。

外国や学問かぶれの会長は、
開祖の神業の妨害者だと決めつけ、ついには
王仁三郎を 暗殺しようとする一団までもあらわれた。

ある日、王仁三郎は宣教の帰りに谷にさしかかった時、
前方に 暗殺隊十人が待ち伏せしているのを霊視した。
そして、機先を制して彼らを大喝した。

おまえ達は なにをしているのか!

不意をつかれ、うろたえた面々は
あちらこちらの草むらから出て来て、

先生をお迎えに来ていました

という。対して王仁三郎は、

馬鹿を言え、こんな怪しからぬお迎えがどこにあるか
わしは うしろには目がないから、お前達が先にたて

と命じ、一行の一番あとからついて行く。
綾部に帰った彼らは、開祖からきつく叱られるが、
互いに罪をなすりつけ合うばかりであった。
しかし 王仁三郎は、そんな彼らを やはり許している。

王仁はつねに此等の役員信者の
 罪をゆるされんことを日夜神に祈りつつ、
 あまたの人の罪に代りて、
 千座のおきどをおひてたゑしのびたりき
  」

と、今にのこる当時の手記のなかで述べている。

これも、いた仕方ないこと、
神さまごとは一般の人間にはなかなか難しい。
神とは一体何か、
神霊は実在するか、という事を王仁三郎は

太平洋の水をインクに例えて、
 その膨大なインクを一滴余さず
 書きつくしたとて、神の説明をしきれるものではない

と語り、神から授けられた教旨、学則を
次のように述べている。

神は万物普遍の霊にして
   人は天地径綸の主体なり、
    神人合一して、ここに無限の神徳を発揮す

天地の真象を観察して、真神の体を思考すべし

万物の運化の豪差なきを視て真神の力を思考すべし

活物の心性を覚悟して、真神の霊魂を思考すべし