霊界物語

 
大正十年の弾圧騒動後、聖師王仁三郎は
現代の大黙示録ともいわれる 神秘の書
「 霊界物語 」の編纂を開始する。

先の騒動の中、王仁三郎の一審判決の日から
数えて三日目の十月八日に 神示があった。

明治三十一年旧二月
 神より
(高熊山にて)開示しおいた霊界の消息を発表せよ

さらに十月十六日には、
水色の羽織を着た開祖の神霊が王仁三郎の前に坐り、
その発表についての きびしい催促をされてきた。
これに王仁三郎が、

「 ご神勅にしたがい、早々に発表にとりかかります 

と言うと、開祖はよろこばれ、十五、六の娘のような
うつくしい顔になられて、姿をかくしたという。

この「 霊界物語 」は、四六判の三、四百ページの本が
全八十一巻からなる驚異的なスケールで、
王仁三郎が 数名の筆記者をそばにおいて口述し
早いときは 一冊を二日の勢いで書き上げた。

過密なスケジュールの合間をぬって 毎日口述をつつけ、
五年弱で七十二巻、および「 入蒙記 」を完成させた。
その後、昭和八、九年に「 天祥地瑞 」九巻を口述、
総じて、全八十一巻となったのである。

この壮大な物語の由来を、第二巻の序にこう述べている。

本書は瑞月(王仁三郎の号名)が、明治三十一年旧二月九日より
  同月十五日にいたる前後一週間の荒行を神界より命ぜられ、
  帰宅後 また 一週間床しばり修行 を 命ぜられ、
  その間に 瑞月の霊魂は 霊界に遊び、いろいろと
  幽界、神界の消息を 実見せしめられたる 物語であります。
  すべて霊界にては 時空間を超越し、遠近大小明暗の区別なく
  古今東西の霊界のできごとは、いずれも
  平面的に霊眼に映じますので、その糸口を見つけ、なるべく、
  読者の了解しやすからんことを主眼として口述いたしました 

そして その内容は、宇宙の創造から 主神の神格、
神の世界的経綸、神々の地位因縁、大本出現の由来、
霊界の真相、神と人との関係、人生観、世界観、
政治、経済、芸術、教育など、
あらゆる事を説示し、理想社会たる

みろくの世 」 

実現のための方策が、懇切に示されている。
そしてそれは、
そのまま、開祖の筆先の真解書でもあるのだ。

それがゆえ、この 「 物語 」 の中には、その随所に
平和や人類愛が展開され、排他的な愛国主義を否定し
世界主義的な思想を貫いているから、
当時の極右的な国家思想の政府当局には
やはり、危険と映っていった。

しかし、一方ではこの物語の発表によって
大本信者の信仰は、急速に成長していくのである。

かつての信仰は、素朴であり、また純真であり、
狭い渓川の激流に似ていたが、この物語によって
信仰が 洋々たる大河の流れに導かれたといえる。

王仁三郎は、いつの間にか出来てしまっていた
教団の 「 古い殻 」 を打ち破ることに腐心し、
それは 物語の中で説かれるだけでなく、
折にふれての談話でも、懇ろに諭された。

… 愛国主義があやまって排他におちいり、
  自己愛になってしまってはよくない。
  世界同胞の考えを持たねばならぬ。排他は神意に反する。
 … 今後は世界を愛し、人類を愛し、
  万有を愛することを忘れてはならぬ。
  善言美詞をもって世界を言向和(ことむけや)わすことが
  もっとも大切である。 … 大本は大本の大本でもなく、
  また世界の大本でもなく、神さまの大本、
  三千世界の大本であることを取り違いしてはならない …

さて 「霊界物語」 は全体として、大河小説のように
時間と空間を超越した、壮大なるドラマという仕立てで
さまざまな謎をちりばめた、黙示録的書物ともいえよう。

悠久の太古の神々の物語、という構成で、
国祖国常立命 = 艮の金神、その神聖支配の隠退、
盤古大神、大自在天神など諸神の多数決による世界支配
および、これら三派の神々たちによる対立、
という基本構成から 編纂されている。

その舞台は全世界で、エルサレム、アルゼンチン、
ヒマラヤ、ロッキー、アルメニア等の地名がとびだし、
登場するのは、素戔嗚尊、天稚彦、玉依姫、といった
古事記や日本書記にも出てくる 有名な神々から、
五十子姫、梅子姫、竜国別からお百合、蛇公、蜂公、
さらには ウラル彦、ブランジー、テールス姫、
チーチャーボールといった横文字名までが登場している。

そして突然、開祖の筆先が出てきたかと思えば、
コナンドイルの心霊研究に言及したり、さらには
ロシア革命の英雄トロッキーが登場したりもする。

「 霊界物語 」には、
神界のこと、限界での過去に起こったこと、そして
いま起こりつつある事、これから起こること、という
全宇宙の過去、現在、未来のすべてが描かれている。

それは地球の太古の歴史を記録した書でもあれば、
予言の書でもあり、宇宙の神秘を示した書といえる。

王仁三郎によれば、この物語の解釈は
じつに、三十六通りにおよぶ読み訳がなされるという。