放火騒動から放免されたなお。
しかし、長女よねの夫となった大槻鹿造が
「 なおさんは気が狂ってるんやから
もっと入れておいてくれ 」
と警察に頼んだが、そうもいかない。警察は、
それではと 組内に命じて村内に別の座敷牢をつくり、
なおを、無理やりその牢に押し込めてしまう。
少女のころから謙恥心が強かったなおは、
気が狂ったとして座敷牢に入れられるなど
これ以上ない 辱しめである。
なおの全身を、それまで味わったことのない
途方も無いほどの さびしさが覆った。
そしてこんなことでは出口家の名を汚し、
先祖に申し訳ないという気持ちになった。
死んで御詫びをしようと 自害を決意したのである。
そのとき、
いつもの威厳ある神の声が、なおの口より出てきた。
「 罪障(めぐり)あるだけのことは出してしまわねば
死んでも同じこと、霊魂はさらに苦しむぞよ。
いまでは地獄の釜のこげおこし、
耐(こば)らんと良い花咲かぬ梅の花、
この経綸(しくみ)成就いたしたら、
夫の名も出る、先祖の名も立つ ・・・ 」
神の説得は、なおの決心をくつがえした。
「 それでは、大声で叫ばれて
こういう目になったので、これからは止めて下され 」
と談判すると、神は
「 では 筆を持て 」
と命じた。
「 文字を書くことなどしらない ・・・ 」
と、なおが ためらうや
「 そなたが書くのではない。
神が書かすのであるから、うたがわず筆をとれ 」
と、神の声が重なった。
筆など牢の中にあるはずなく、
近くにあった古釘をふと手にした。
すると 暗闇のなか 古釘の先に光がともり、
その光を手が勝手に動いてなぞっていき、
牢の柱に文字のようなものが刻まれていった。
こうして神の言葉が、記されるようになる。
これが、「 お筆先 」 のはじまりである。
かくして入牢から約四十日を送り、
なおは出牢され、青空を仰いだ。
このお筆先は、のちには筆で半紙に書くようになる。
なおが昇天する大正七年までに、
約一万巻、半紙十万枚の多きにのぼった。
この開祖のお筆先を、
のちに王仁三郎聖師が漢字をあて、
句読点をつけ読みやすくして発表したのが
「 大本神諭 」 である。