出修

 
明治三十三年旧六月。

「 冠(お)島へ参りてくだされよ 」

そしてその ひと月のうちに

「 こんどは沓(め)島を開いて下されよ 」

と筆先が出たのであった。

この二つの島は、
日本海の舞鶴沖に並んで浮かぶ小さな無人島で、
綾部から 艮(うしとら)の方角(東北)に位置する所にある。

冠島、沓島は、
それぞれ竜宮島、鬼門島とも呼ばれ、ここは
神話の海幸山幸や、浦島太郎伝説がのこっており、
昔から女子が近づくと海が荒れ、
妖怪変化が現れて丸呑みにするという。
男子でも、一度は詣れ 二度と詣るなと畏められ、
伝説や迷信に満ちていた。

旧六月八日夕刻、開祖や会長は、
女子も二人伴う一行らと五人で綾部を発ち、
歩いて舞鶴に入って、そこからは舟を雇った。
天候がにわかに険悪になり 舟頭はためらったが、
これに 開祖なおは

神命であるから心配いらぬ

と断じて後へ引かず、
夜になった雨風の中に小船を出した。そして湾口から
日本海へ出る頃には、開祖の言葉通り
さしもの雨風も止んで暁方には 無事に冠島に着き、
天火明命・日子郎女命を祀る 老人神社に参拝して、
「 治国安民 」の 熱檮 を捧げた。

これより、ひと月後の旧七月八日。
開祖、会長一行は この度九人にて、先の冠島より
さらに難所とされる 沓島 参拝へと発った。

荒海の怒涛は沓島の断崖に砕け 近より難かったが、
ようやくにして着岸し、持参の神祠を組み立てて、
艮の金神はじめ 神々を奉斎し 天下安泰を祈願した。

この沓島こそは、
大本神話による 艮な金神 隠退の地 であり、
後の日露戦争中には 開祖なおが再びこの島へ渡り、
十日間籠って 平和祈願をしたのであるが、
この時、バルチック艦隊が
ウラジオストックに回航してくるというので、
日本国内では、上を下へと大騒動をやっていた。
それで、舞鶴鎮守府でも海上警戒に余念がない。
ところが、ある日、警備の望遠鏡が
沓島に奇怪な人影をとらえたので

「 あれは 露探にちがいあるまい!

と、丹後の浦々は
たちまち鼎(かなえ)の沸くようなありさまとなった。
慌てて警備船が沓島に来てみると、そこには
お籠り姿の白衣を着た 開祖なおが居た。

お前は何処の者か

綾部の者じゃ

何をしにきたか

神さまの御用できた

綾部の者なら 岩吉という者を知っておるか

奇遇なことじゃ、知っている。岩吉の家は
  私の家の隣じゃ、毎日バクチばかり打っておる

珍妙な問答だが、これではじめて
怪しい者ではないと判断されたのであった。

さてその後も各地の島や山、
神社などへの参拝がつづけられたが、

「 丹後の元伊勢に参られよ 」

との筆先が出たのは、
明治三十四年旧二月六日であった。
元伊勢は京都の加佐郡(現.大江町)にあり、
天照皇大神 を祀る社があった。

第十代崇神天皇のころ、
大和国笠縫からここに遷幸し、その後
伊勢にうつられた旧蹟なので 元伊勢といわれている。

その社の近くに巨大な岩穴があり、
つねに清水をたたえていたが、昔から汲み取ると
天災がおこるとして、汲むことを禁止されていた。

ところが お筆先には、
その水晶の水によって世界の泥をすすぎ、
身霊の洗濯をして 元の神世に返す … とあり、
旧三月八日、開祖、会長、すみをはじめ
一行三十六名が元伊勢に向かった。

そして無事に水晶のお水は汲まれて持ち帰り
神前に供えられたあと教会の井戸に注がれ、
以来、この水は 金明水 と呼ぶようになった。
また、すぐ隣の開祖たちが住む
出口家の井戸にも注がれ、銀明水 と呼んだ。

これらは、それぞれ
昭和十年の 第二大本事件で埋められてしまうが、
現在では 元に復されて、清らかな水をたたえている。

旧三月七日には、
出雲出修の神示が出た。元伊勢の 水 にたいし、
出雲は大社の 火 をもらう神事である。
七月一日(旧五月十六日)、
一行十五名が出雲大社へ向かった。

いでたちは皆、
ござと笠、サラシの脚半と紙巻き草履。
開祖はすでに六十五歳の高齢であったが、
五十里もの道のりを往復とも、一行の先頭を歩いた。
開祖は、

年寄りが、若い人の先に立って歩くのは
  あつかましいので ゆっくり歩こうと思うが、
  神さまが後から押されるので つい早く歩くのや

と話す。 同行の娘 すみ も、

ご開祖は 背後の神さまに
 もたれるような姿で、達者に歩かれた

と、後年に語っている。
出雲への道中、鳥取の賀露の宿で 喜三郎は、
すみのお腹に太陽の入る霊夢を見た。それは、
夫婦の長女 直日(三代教主)懐妊のしらせであった。

一行は十二日に大社に参拝し、
天穂日命の神代から代々引き継がれてきた
「 消えずの神火 」 を授かり、
檜皮製の三本火繩に点じて持ち帰る。

元伊勢の清水は、世界の泥を澄まし、
人民の身霊の洗濯のためであるが、出雲の聖火は、
世界の汚れを 焚き浄めるため といわれる。

これは、天津神系である元伊勢と、
国津神系の代表といえる出雲大社、この二つの神系が
融合せることの 「 型 」 と見ることが出来よう。