予言者 王仁三郎

 
大正十年十一月四日。
この日、王仁三郎は数名の信者と面会中であった。
その話の合間に、ふと目を閉じたかと思うと突然、

あっ、原敬(はらたかし)が やられた!

と叫び、信者たちは驚いた。

東京駅で 暴漢に襲われよった

いまですか?

いや、これからだ

ときの総理・原敬は、平民宰相とよばれ期待されたが
無茶な膨脹経済政策、普選法案にたいする抑圧で
大衆からの人気を失い、さらに強引な党略政治、
党勢維持のための収賄等で、連日新聞に叩かれていた。

首相 原敬 が暴漢に襲われたのは、
王仁三郎が言葉をはなってから、二時間後の事であった。

大正十二年の春、
幹部の筧清澄が教主殿で勉強していると、
王仁三郎が ひょっこりあらわれた。

なにをしとるんじゃ

はい、霊界物語を拝読させてもろとります

熱心やのう。けっこう。けっこう。
  ところで、いまに東京で大地震がおこる

どうしてですか?

この長雨がようない

霊界物語 に示されてありましょうか?

「 ある …
  エトナの爆発と書いて示しておいた、まえに、
  東京は もとのすすき野になる
  と書いて発表したら、発禁になってしもうた。
  こんどは発禁にならんよう、しかもようわかるよう、
  エトナの爆発と書いておいた。エトは江戸、
  ナは万葉時代の言葉で地の意味じゃ。
  エトの地、すなわち 今の東京じゃ  

それで、時期はいつ頃でしょうか … 」

この秋だ、はじめが危ない

そして迎えた大正十年九月一日、
関東一円を 大地震 が襲った。

この時、すでに一部の人々は

 「 予言が当たった  」

といって騒ぎはじめていた。
先の 「 すすき野 」 の予言は発禁になったとはいっても
広く世間には知られており、新聞やマスコミには

出口氏の予言的中  」

と報じるところも出てきた。
王仁三郎は九州阿蘇に居たが、ただちに綾部へ帰る。
その帰りの汽車の中でも、王仁三郎に気づいた乗客達が

出口さん偉い  」
ようやりましたな  」

と さけびだす始末 … 王仁三郎は、情けなかった。

予言が的中したと世間はいうが、こういう予言は、
むしろ的中しないことを喜ぶべきなのではないか …
的中しないと 「嘘つき」 よばわりし、的中すると
被災した人々の不幸もかまわず騒ぎ立てる。
まったく大衆とは無責任なものである … と。

王仁三郎は信者たちに、この際は慎重な態度をとり
くれぐれも、管憲を挑発することのないよう諭した。
大本の各支部には、活動は被災者救援に限定し、
いっさい、震災に関する予言を口にするなと命じた。

世間離れした論を世間に向け、
大きく掲げ過ぎることを、自粛させたのであった。