貧苦の底 

 
嘉永六年、なおは十七歳で綾部の出口家養女となる。

出口家は母そよの実家であるが、
その株内の家を母の妹ゆりが継いでおり、
子がなかったので、なおを跡継ぎにもらったのである。
この二年後、なおは婿養子をとり家を相続した。

なおは二十歳の夏から
四十七歳の新春までに十一人の子を生み、
三人は早死でうしなうが、三男五女の子を育てた。

夫政五郎は大工で、人も腕もよかったが
取り引きが下手で 物欲も希薄だった。

そのうえ酒と芝居と冗談好きで遊び癖があり、おまけに
悪い親戚や近所連中に騙されたり、たかられたりで、
家族は散々な生活をしいられた。

また、なお一家が暮らす本宮村(現、綾部市本宮)
環境悪く、三十一軒の家に
首つりが三人、殺人や強盗罪で終身刑が三人、
泥棒が四人、バクチうちが二人、
それ以外に監獄送りが三人、
盲、半盲が七人、片輪が四人、
健忘性、阿呆、ゴロが各一名いた。

他には
恋人と一緒になれず 婿をもらった晩に服毒した娘や、
野壺の肥を盗ったのを責められ
枕元に十両の金をおき 自殺した女もいた。

この村は まともな人間は二、三軒ほどのもの。
悲惨のきわみであった。

また、なお夫婦は
綾部の地の者ではなかったため、よそ者の差別をうけた。

がいして恵まれない家庭に、人情不在の悪党鬼村。
なおは一身を犠牲に 希望のない年月を送ったのである。

ついには 住みなれた家を売り小さい平屋に越し、
子どもたちも 奉公に出したが追いつかず、
明治十七年、とうとう一家は戸を閉めてしまった。

つまり破産である。
世間との出入り戸を閉めたわけである。

弱り目にたたり目で 夫はけがで寝込んでしまい、
酒毒も手伝って 回復の見込みなく、
そのうえ 大工奉公をしていた長男がやけくそになり
ノミで喉をついて自殺未遂をはかり、
はては行方知らずとなってしまう。

長女は バクチうちの大槻鹿造にかっさらわれ、
次女は 一時期京都へとびだしてしまい、
三男もこれまた大槻鹿造が
子どもが無いのでくれ、と連れていってしまう始末。

なおは、当時もっとも悲惨でどん底の者が身をおとした、
ボロ買い、紙屑拾いになり 暮らしをつないだ。