明治二十年三月、
長い間寝込んでいた夫政五郎が亡くなる。
酒と遊びに身をもちくずし、家をつぶし
妻子をかえりみない政五郎だったが、
元は大工としては名人であり
大工仲間も羨み嫉妬するほどの
完璧な普請を三百軒も建てたほどであった。
政五郎が床についたころは、
やれ酒を買え、梨をむけだのわがまま放題だったが
なおは従順にしたがい
「 ほしいもんがあったら、なんでもいうて下されや 」
と言って 懸命に看病したのであった。
政五郎は長い間、なおの苦難をいやおうなく見せられ、
しだいにおとなしくなり反省の心もわいて、
さすがに 妻の愛情が身に染みてきた。
「 わしは今まで気随気ままばかりしておったのに…
お前のような親切な女房はもったいないのう 」
と涙するようになった。
政五郎は、なおが紙屑拾いに出かけるとき、
中風で思うように動かぬ手をふるわせながら
床の中からその後姿に手をあわせた。
亡くなる年の二月末、政五郎は死期をさとったのか
「 なおや、永う世話してくれたが、もう死のうやもしれんで
…この世のなごりにもう一杯だけ酒が飲みたいんや 」
と、力ない声で言った。
その日、なおの手にあいにく一文もなかったが
金に換えれる品物は商売道具の はかり だけであった。
これを二銭の金にして酒代にした。
こうして夫との生活は終わりをつげた。